想念のかたち 4

わたしはこう考えて自分をなぐさめています。


・・・そういう人はたしかにいるが、かれらは自分で解決する方法を知っているのだからわたしのところにくる理由がないのだ、と。


・・・なにかを思うたびに、からだからエネルギーが放射されます。


さかんに両手を動かして相手を説得しようとしている人を観察してみましょう。


その人は自分の生命場を投影して相手の生命場に影響をあたえようとしているのです。


すぐれたセールスマンはたいがいこの手を使っています。


多くの人は生命場の動きに気がつくほど敏感ではないですから、なにがなんだかわからないうちにセールスマンの差しだす契約書にサインをしてしまいます。


・・・必要なのは、こころをバランスのとれた、創造的な状態にたもっておくことです。


想念のかたち 3

ところが、父親に車は買ってやらないと宣言されます。


父親の判断を素直に受けいれる子どもはまずいないでしょう。


せいぜい落ちこむのが関の山です。


なぜ買ってくれないんだ?


・・・自問自答をくり返します。


そのうち、神経系のバランスが少しずつくずれてきます。


その手のプロセスの後遺症が生涯つづく場合もあります。


痛みやうずきを訴える患者がよくくるのですが・・・


こころをひらかせると、子どものころにはじまった想念パターンを思いだしはじめ、固着していた昔のパターンや解決できなかった問題と現在の症状とがいかに密接に関連しているかに気づくことがあります。


それに気づきさえすれば、ものごとを肯定的に考えられるようになり、健康を回復するチャンスはじゅうぶんにでてきます。


その反対に、肯定的な思考をすることによって自分で症状が改善できたという患者もかなりいる、といいたいところですが、残念ながらそうはいません。

想念のかたち 2

もうひとつの想念のかたちである欲望も病気の原因になりえます。


・・・たとえば、なにかを実現したいという欲望をもった人がその欲望をじょじょに募らせていき、大きくふくれあがったときに、予期せぬことが起こって野心がくじかれたとしましょう。


そんなとき、番狂わせのショックがからだの複雑なはたらきを阻害して具合が悪くなり、こころならずも寝こんでしまうことがあるのです。


(・・・ショックのあとこそからだに気をつけなければならないのに、そうしない人があまりに多いのです。


カネ儲けや上司をよろこばせることにこだわっているから、休息よりも労働のほうが大事だと思うのです。


たとえ家で休んでいてもリラックスできず、あれやこれやをやってしまいます)。


あたらしい車をほしがっている少年がいるとしましょう。


もう1年も前から車のことであたまがいっぱいで、どんな色にしようか、それに乗ってどこに行こうか、友だちはどういうだろうかと、そればかりを考えていました。


想念のかたち

妊娠中の女性で、自分および夫の想念が胎内の子どもに影響していることを知らされている人はきわめて少ないものです。


妊娠中に、親となる夫婦がいろいろ否定的な想念を思い浮かべるのはごく自然なことです。


9か月ものあいだには、落ちこんだり、不幸を感じたりすることがあって当然です。


しかし、妊娠中、きわめて深刻な精神的・感情的トラウマに耐えたことのある親は、その結果として生じた否定的な想念が胎児のからだに根をおろし・・・


生まれたあとに原因不明の身体的・心理的症状を呈する場合があることを知っておく必要があります。


逆にいえば、くり返し原因不明の症状を呈する子どもの親は、妊娠中のできごとをよく点検して、そのときからひきずっている否定的想念がないかどうかを考えたほうがいいということです。


わたしはそんな子どもの親に、オステオパシーの手技だけではなく、子守歌や童謡をすすめています。


親が歌う「ロッカ・バイ・ベイビー」などの韻律や抑揚が、子どもの生命力のリズムを回復するのに役立つことがあります。

他が出した結論は受け入れたくない 2

どうもわたしたち人間は、他が出してしまった結論に対しては、拒絶とまではいかないまでも、それを素直に受け入れるということはできないようです。


対応がばらばらでは仕事になりません。


何とかしてみんなのベクトルを合わせねばなりません。


となるとここに、そのための別な力が必要になってきます。


その代表が権力です。


当然のことながら多くの場合、その力の作用する方向に流れていきます。


「貸し、借り」という掟もあります。


「こんどは貸しとこう」「このまえの借りを返す」です。


「根回し」と言われるものの力も大きいですね。


「赤提灯」が利用される場合もあります。


他が出した結論は受け入れたくない

「この問題はこういうことだ。ポイントはこれだ。だからこうせねば・・・」


・・・と、一人ひとりが「個」で考えた結論をもって集まり、そこから先の行動において、「全」つまり、みんなで力を合わせようとする努力が、R型でのミーティングあるいは会議と言われるものです。


その場では、「個」の結論を互いに主張し合うことになります。


それぞれが「個」で考えてきたわけですから、多くの場合、状況を捉える範囲も片寄っており、当然のことながら、捉えたものが一致していることは少ないのです。


したがって対応すべき的も異なるし、それが異なれば、対応策は変わってきます。


反対方向を指すこともめずらしくないのです。


そこで話し合うことになります。


しかし、結論をそれぞれがすでに持っているので、真剣に話し合えば話し合うほど、互いの開きばかりが明らかになってきます。

「チームワーク」について 2

一つは「同じ釜のめしを食う」式の、いわば時空的に体験を共有するようなものであり、もう一つは「思いと状況を共有して動く」という、いわば心に課題を共有して動くものです。


前者も補助的には必要ですが、仕事において決定的に大事なのは後者です。


チームワークするために、どこで力を合わせていくか・・・。


R型とH型では、ここでもまた正反対の対照をなしています。


R型


・動く(行動的な)場で力を合わす・・・道具力で結合

・「個」で考え、「全」で動く


H型

・考える(「消化・発見」する)場で力を合わす・・・人間力で結合

・「全」で考え、「個」で動く

・「全個全個全個」の積み重ね


問題に直面したとき、原因、対策を素早く選択してしまうのがR型でした。


「チームワーク」について

偽ものの活性化現象ならば、企業レベルとは言わず、国家レベルでも歴史上いくらでもありました。


私は、仕事の上長、学校の教師、親の立場にある人にとっての原点は、ここにあると思います。


私の関心もここに集中しています。


では次に、みんなが「どこで力を合わせていくか」ということ。


・・・つまり、チームワークについてです。


チームワークと言うと、まず想い浮かべるのは、スポーツのチームプレイではないでしょうか。


それらもチームワークには違いませんが、それは、ゲームの構造がそうなっているだけのものであって、ここでいう仕事のチームワークとは別のものです。


仕事のチームワークには、2種のものがあると思います。

自治行政の独自性 4

国の補助金行政との関連でいわれる「中央分権」と「地方集権」という対比は、独任首長制を前提にしていることはいうまでもないのです。


第二は職員の任用制度の相違です。


この相違には二つの側面があります。


まず第一に、大卒、短大卒、高卒(各程度)という学歴を基礎として採用試験の区別をとっていることは同じですが・・・


新規採用における試験の種別がその後の任用を決定づけるかどうかという点で国と自治体では基本的に異なっています。


昭和60年度から国の職員の採用制度が変わり、従来の国家公務員上級甲種が国家公務員採用-種に、上級乙種と中級が採用皿種に、そして初級が採用皿種となりました。


一般の採用-種の試験は人事院が行い、合格者は採用官庁に推せんされ、各省庁は本省庁に採用するか否かを独自に決定します。


採用となれば将来、幹部の地位につきうる期待をもつことができます。


彼らの人事は最初から大臣(長官)官房人事課(秘書)の専権となっており、キャリア組とか有資格者とよばれ、他の職員に比べ速い速度でより高い地位に昇進してゆき、同期のキャリア組のうち一人が最高位の事務次官に就任します。


任用におけるキャリア組とノンキャリア組という身分差はかなり歴然としており、職員機構は人事運営上は明確な二重構造となっています。


これに対して自治体職員の場合は、採用時の試験種別が国の場合のように後の昇任を決定づけることはありません。


自治行政の独自性 3

これに対して、独り直接公選で選ばれる首長は、執行機関の頂点に立ち意思決定を下すことができます。


実際には、都道府県には副知事・出納長、市町村には助役・収入役というヨーロッパ大陸系ともいうべき議会承認の役職がおかれ、執行機関としての最高首脳部を構成しているが、公選首長の意向は圧倒的です。


この点にかぎり、合議体である内閣に比べ、はるかに政策を統合することは容易であるということができます。


もちろん自治体の組織にも、国の各省庁のように一定の自治領分(分掌事務)の定まっている局部がおかれており、その間の調整を必要とする場合も少なくないのです。


しかし、必要ならば組織の改廃によって新たな政策対応や政策調整を組織的に解決することは国に比べれば相対的に容易です。


現に自治行政にセクショナリズムの弊害が生じているかなりの部分は、実は国の各省庁がその都合で事務を機関委任し、使途特定の補助金を配分する集権的しくみを持続していることに原因があるといえます。


独任で公選の長は、代表と責任を一身に体現し、職員による補佐機構を掌握することによって、もともと、自治行政に強い求心力をつくり出すことができるのです。